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支持されている理由

1.地域密着40年を超える施工実績

代表取締役 平塚 次夫

青森出身の寡黙な大工さんとの出逢いから36年歩み続けた家作りの道。

私が起業する際に建築という業界を選んだのにはいくつか理由がありました。そのひとつは私の幼い頃の思い出です。私が育った家は8畳の和室が2つしかない家で、裏の和室は床が抜けていたので、手前の和室に皆で寝ているという状態でした。ですから、お客様が来ると帰るまで食事をすることも寝ることも出来ませんでした。そういう思い出があり、きちんとした間取りの家を提供したいと考えるようになったことです。

そうはいっても、私には建築について何の知識も経験もありませんでした。まずは、同級生を頼り、その先輩を頼り、「雇ってください」とお願いに行きました。その先輩の紹介で、基礎や鳶、解体などの仕事に就きました。そこで私は弁当持ち、日給3500円で働きながら、夜は日建学院へ建築の勉強に通う日々を送りました。その後も、鉄骨の建て方、屋根葺きなどをやり、まさに建築の現場で叩き上げでやってきました。

そんなあるとき、「土地を買わないか」という話を持ちかけられました。その土地を売りたいという方は青森出身の大工さんで三上さんという方でした。三上さんは、いつか茨城に家を建てようと思い、40坪の土地を買ったそうなのですが、茨城では夢をなくし、故郷の青森へ帰るということでした。なので、この土地が要らなくなったので買ってほしいということだったのです。当時、私は、基礎、解体、屋根葺き、サッシ取り付けなどは出来ましたが、大工職だけは出来ませんでした。「腕が良く、親切で、細かいところに気がつき、人柄が良い大工さんはいないか」と探しているところでした。その三上さんと話をしているうちに、三上さんことが私の理想とする大工さんにぴったりの人だということに気がついたのです。

そこで、その土地を買う条件として、「私の会社で専属に働いてほしい」とお願いしました。三上さんも、「平塚さんのような人とならやってみたい」と言ってくれて、二人でこの会社を盛り上げていこうと決意しました。三上さんとの出会いが運命を変えた出会いだったのだと思います。その後、三上さんは茨城に家を建て、結婚し子供もできました。今も一緒に働いていて私とは、36年以上の付き合いになります。

富士住建という会社名は、前職時代の社名「富士通電装」から取らせて頂きました。私は、富士通電装の皆さんにも大変お世話になっていましたし、富士通電装の先輩、同僚、後輩の家も10棟くらい建てさせていただきました。最近までサラリーマンだったのを皆さん知っていて、素人の私に信用だけで任せてくださったのです。その代わり、私も、期待に応えようと一生懸命やりました。今でも、縁は続いていて、3.11の際にも、ほとんどの方の家の修理をやらせていただきました。

私共は、大手メーカーのように大々的に広告を上げることはできません。しかし、メーカーでは出来ないようなかゆいところに手が届くようなサービスが出来るよう心がけています。また、36年もこの仕事をしていると、色々なことがあり、社員の出入りもありましたが、最終的には良い人だけが社員として残ってくれました。外注先も同じで、最終的に波長の合う良い職人さんだけが残ってくれたのです。そのようなことがあって、全力で仕事に打ち込むことができたのだと思います。36年間の間には、色々な失敗もしましたが、それが良い経験となり、今ではどんな仕事に対しても自信を持つ事が出来るようになりました。このようなことがあり、この下妻という土地で、36年間という長い間、お客様に支持していただき、950棟以上の家を建てさせていただくことが出来たのだと思っています。

会社を始めた当時は、在来工法を主としていましたが、縁があって2×4パネル製作工場を作る事になり、2×4工法も取り入れるようになりました。製作工場を作ってから11年がたちます。
平成22年には、輸入住宅系のインディアホームのFCに加盟し、輸入住宅部門「インディアホームつくば」も手掛けるようになり、お客様への提案の幅を伸ばすことになりました。これからも、お客様の多種多様なご要望にお応えできるよう、力を入れていきます。